捨て子の少女の死と、脱・格差社会のもと

U-jin2007-01-25



是非、下記のソフトブレーンの宋さんの書いた記事を読んでほしい。泣きそうになった。宋さんはメルマガも書いておられるが、いつも楽しみにしているし、勉強になる。


捨て子の少女の死と、脱・格差社会のもと(日経ビジネスオンライン
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20070122/117394/?P=1


まだ自分自身の思索は浅いが、読んで感じたことを簡単に書く。
先日友達ともアメリカにおける貧富の差について話していたが、アメリカの富裕層と貧困層の格差が著しいのは有名であるが、アメリカという国は、金持ちになったらその資産を慈善事業などを通して社会に還元するという精神が根づいている。カーネギー含めた過去の多くの富豪しかり、最近で言えばビルゲイツしかり。
かたや日本では、去年2006年は「勝ち組」「負け組」「格差社会」という言葉をよく耳にした年だった。日本も総中流社会などと言われながらも徐々に西欧の資本主義スタイルに近づいてきているように感じる。「勝ち組」「負け組」なんて言葉をマスコミや社会が書き立てることで、さらに格差社会を助長しているのでは、とさえ思う。自分を勝手に「負け組」の一員に属しているんだとカテゴライズしてしまうことにより、あきらめに近い思いになってしまっていないだろうか。また「勝ち組」になることが幸せで、勝ち組になるのであれば手段は選ばないというような。テレビでよくやっている金持ちの自宅を訪問し、所持している高級ブランド品を見せびらかす番組を見ると、なにか履き違えているような違和感というか、本来あるべき感覚が欠如したような、気持ち悪さをおぼえる。日本はアメリカほどボランティア精神や自分の利益を社会に還元するという精神が根付いていない、というかそのような教育が充分になされていないように思う。日本も「利他の心」を育てる教育に真剣に取り組まなければ取り返しがつかなくなる。
正直、自分の心に手を当ててみても自分自身、具体的な行動はとれていない。すさんだ事件が表面化してきたこの日本に対してどのように力になれるのか。自分自身が心がける以外に、自分にはなにができるのか。今後の自分のテーマのひとつとしたい。
最後に宋さんの言葉を引用したい。

 学校が荒れているのは、教育予算の規模も関係しているかもしれませんが、僕には家族が、人を思いやる心を子供に与え、教えていないことに根本の原因があると思えます。もちろん家族だけが人を思いやる心を教えるものではありません。家族が教えられなくても、教師、地域、仲間が代わりを務めることもあるでしょう。

#これを書いていて自分の経験・勉強の浅さを感じた。経験は考えをより確かなものとし、説得力を持たす。これも今年のテーマにしよう。